SPECIAL/スペシャル

『姉なるもの』×『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』

『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』の著者・井中だちま先生が、お姉ちゃんとお母さんが交差する夢のコラボ小説を書き下ろしてくれました。両作品のファンのみなさま、お楽しみください。

 

スペシャルコラボ小説!
悪魔の姉と無双のお母さんが作ったご飯を食べますか?

著/井中だちま イラスト/飯田ぽち。

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 まだ初夏だというのに連日の猛暑だ。
 ニュースで報じられる熱中症患者数は高止まりしたままで、このままいくと前年度の記録を軽く上回りそうだとか。まあそうだろう。この暑さに晒されていると、温暖化というより、むしろ灼熱化という言葉が頭に浮かぶ。
 そんな日本の、とある田園地帯の、広い屋敷の広い庭の隅っこで。
「ふぅ……今日も暑いなぁ」
 (ゆう)は、頬から滴り落ちる汗を拭いながら草取りに勤しんでいる。
 誰かに言われたわけではない。自発的に始めた草取りだ。
 この屋敷は、夕のおじさんの家で、夕がお世話になっている家。五歳の時に両親を亡くし、親戚中をたらい回しにされて……その果てに、誰からも疎まれていた夕を受け入れてくれた場所だから。
「入院しているおじさんが帰って来た時に庭が荒れ放題だったら、すごく残念に思うだろうから……せめてこれくらいの手伝いはしておきたいよね」
 感謝を込めて、十四歳の少年なりにできることを。拭っても拭っても湧き出てくる汗はもうそのままにして、夕はせっせと草取りを進める。すくすく育っている雑草をどんどん引っこ抜いて。
「ここはこれくらいかな……次は……いたっ」
 移動しようとして体を起こした瞬間、夕は後頭部をチクチクッと刺激された。
 振り返ると、松の木がある。松の棘が頭に刺さったというか当たったというか。でもまあ全然大丈夫……
 と。
「夕くん!? どうかしたの!?」
 切羽詰まった声を上げたのは、夕の姉、千夜(ちよ)だ。
 ワンピースに包まれているその肢体は、女神の彫像のように端正で、豊満すぎる胸の揺れ方すらも芸術的。
 揺るぎない愛情を差し向けてくる顔は如何なる者よりも美しく。
 月のない夜の色をした長い髪を振り乱して、大急ぎで駆け付けてくる。
「『痛い』って言ったわよね!? 怪我をしたの!? 大丈夫!?」
「あ、お姉ちゃん……えっと、松の棘がちょっと頭に刺さっただけなので……」
「棘が頭に!? なんてことなの!?……夕くんに危害を加えるなんて……永劫に枯死の瞬間を繰り返させるのが相応しいかしらね……」ズズズ……
「あ、あれ? お姉ちゃん?」
 千夜は剣呑な目つきで松の木を眺めて、変貌する。
 ワンピースはしゅるしゅると解れて形を変え、牙が生えた胸布と、秘部を覆うだけの帯となって。
 脚は蹄のある獣のそれへと変わり、頭には、山羊と呼ぶにはあまりに禍々しい二本の角が生えている。
 それは神か、或いは悪魔か、いずれにせよ人間には理解できない何かだ。
 目にした瞬間に死を意識せざるを得ない姿と化した千夜は、対象に相応の罰を与えるため、髪を触手に変えてゆらりと歩き出す……
 いやでもそんなことさせるわけにはいかないので、夕は慌てて千夜の手を掴んで引き止めた。もう必死で。
「待ってください! 待ってください! それはそんな危険なものじゃなくて! 刺さったと言っても、ちょっとチクッとしただけですから! 全然大丈夫ですから!」
「あら? そうなの?」
「はい! そうなんです! 怪我してません! ほら!」
 夕は頭を差し出す。どうぞ見てくださいと。
 千夜は、夕の頭を隅々までじっくり見つめて、満遍なく撫でて、さらに念入りに確認して……どうにか納得してくれたようだ。
「夕くんは怪我をしていないのね……それならよかったわ」
 千夜は一瞬で人間らしい姿に戻って、心から安堵して微笑みかけてくる。
 そんな姉の様子を見つめて、夕自身も自ずと笑顔になって、しみじみと思う。
「(千夜姉は、やっぱり千夜姉だなぁ……)」
 千夜は、人間である夕の姉であり、しかし千夜は人間ではない。
 そのことは夕も重々承知しているが。
「(……それでもやっぱり、千夜姉は千夜姉だ)」
 千夜という姉と共に過ごす日々は、夕にとってのすべてだと、そう言い切ってしまえるだけの何かがあるから。今はそれだけでいいのだ。
 夕が胸の中にある温もりをじっくり噛みしめていると、不意に千夜が頬を撫でてくる。汗の粒をぬぐい取っていく指使いが優しい。
「夕くん。すごく汗をかいているわね。もしかして暑いの?」
「え? あ、はい。今日も猛暑で、日差しも強いですから……」
「そういえばテレビのニュースでも言っていたわね。熱中症に気を付けましょうとか何とか。お姉ちゃんの感覚ではよくわからないのだけど……とにかく夕くんにもしもの事があったらいけないわ。だから」
 千夜は夕のすぐ傍に立ち、ワンピースの裾を掴んで、ふわっと持ち上げた。
 さながら日傘のように、夕の頭の上にスカート部分を広げて、厳しい直射日光からガードだ。
「え?……おおおおっ、お姉ちゃん!?」
「こうして日陰を作れば、夕くんが熱中症になっちゃう心配はないわね。ふふっ」
「いっ、いえあのっ、日差しは防がれていますけど、むしろ熱いというか……パ……パパパパッ、パンッ……!?」
 顔の真横に、お姉ちゃんの、お姉ちゃんなパンツだ。夕の体温上昇が止まらない。「お姉ちゃんの、パンッ……!」「パン? お昼はお姉ちゃんのパンがいいの?」そういうことじゃなくて、そうじゃなくて。
 そんな時だった。
「……あら?」
 千夜はふと何かに気付き、庭の向こうにある蔵へ目を向けた。「ど、どうかしたんですか?」スカートの下から必死に這い出た夕も、何とか心臓の鼓動を抑え、千夜に倣って蔵を眺めてみる。
 蔵だ。一見すると何の変哲もなく、そここそ千夜が現れた場所であるということを除けば、全国津々浦々の旧家にありそうな普通の蔵なのだが。
 ……ぃ……っ!……ょ!……
 誰もいないはずのそこから、かすかに喚き声が聞こえてくる。
「え……中に何かいる……?」
「あらあら。また余計なものを喚(よ)び寄せちゃったのかしら……それじゃ、お姉ちゃんがちょっと行って、調達してくるわね」
「あ、はい、お願いしま……え? 調達?」
「夕くんの夏バテ予防になる食材だといいわね……」ズズズ……
「ん? 食材? ちょっと待ってくださいお姉ちゃんちょっと待って?」
 何だかものすごく嫌な予感がして、夕は慌てて止めようとしたのだが。
 或いは神であり悪魔であるその人は、あからさまに悪魔なオーラを放ちながら、蔵に向かってゆっくりと歩を進めていく……


 一方その頃、蔵の中の地下室。不自然な角度の天井と壁に加え、乱雑に置かれている大量の書物と、奇妙な文様と数式で囲まれたそこに、人間の姿がある。
 まずは少年が一人。
「おいおいおいおい! 何だよここは! 一体どこなんだよ!」
 辺りを見渡して喚き散らしているのは、大好(おおすき)真人(まさと)。十五歳。
 日本人であり、高校生であると同時に、職業は〝普通の勇者〟だ。
 太陽と月と星々の細工が施された天空の聖剣フィルマメントを佩き、左腕にガントレットが組み合わされたロングジャケットを装備。いかにもゲームでRPGで剣士風の出で立ちをしていて。
 あともう一人いる。真人としては、別にいなくてもよかったのだが、やっぱりいる。
「マー君、ちょっと落ち着きましょう。一緒だから安心よ」ピカーッ
「うおっ、眩しいっ!」
 全身から光を発しながら、真人にぐいぐい寄り添って「いや近いから!」「遠慮しなくていいのよ?」押し返されてもなお寄り添ってくるその人は、大好真々子(ままこ)
 十代の少女のような顔立ちに、ゆるふわカールの艶やかな髪に、瑞々しいお肌。どこを見ても若々しさを極めていて、ついでに、あまりにも立派な胸を搭載している女性だ。
 灼熱色と濃蒼色の双剣、大地の聖剣テラディマドレと大海の聖剣アルトゥーラを佩き、お気に入りのワンピースに鎧のパーツを装備。こちらもまた、いかにもゲームでRPGで剣士風と言っていい装いをしている。
 そんな真々子の職業は〝普通の勇者の母親〟。
 そう。母親だ。真人の実の母親である。
「ほらマー君。ここがどこでも、お母さんが一緒だから大丈夫。ね?」にっこり
「全然大丈夫じゃないだろ! 母さんが一緒だったから、こんなことになったんだぞ!……母親同伴でゲーム内転送されたってだけでも過酷なのに、おまけにこんな……」
「えっと……お母さん、また何かしちゃったのかしら」
「しただろ! ついさっき、ほんの数秒前、ダンジョン探索中にさ! 明らかに罠っぽいスイッチをさ、まったく警戒せずに押してくれやがってさ!」
「あらまあ。壁に出っ張ってたあの石がスイッチだったの? お母さん全然わからなかったわ……」
「ゲームの事わからないくせに出しゃばって、その結果がこれだよ!……ああもう! どこだよここは!」
 真々子を怒鳴りつけていても埒が明かない。真人はあらためて辺りを見渡して現状把握に努める。
 天井と床の奇妙な角度は、見つめているだけで体の感覚がおかしくなりそうだ。壁に走り書きされている文様や数式は奇妙に複雑で、内容はとことん不明だが、少なくとも神聖な何かではないように思える。漂っている甘ったるい匂いも、どこか蠱惑的で……
「(魔法……というより、魔術の実験現場って言った方がよさそうな感じだな)」
 イメージ的にその方がしっくりくるだろう。
 真人たちがつい一瞬前までフルダイブでプレイしていたオンラインゲーム〝MMMMMORPG(仮)〟で使用される攻撃や回復の魔法とは次元が違う代物のようだ。あくまで真人の主観ではあるが、おそらく間違っていない。
 結論としては、とにかく要注意。
「……母さん。ここは慎重になるべきだぞ。さっきみたいなことは絶対に禁止な」
「ええ、わかったわ。今度こそマー君の指示に従うようにするわね。マー君がダメって言うことは絶対にしないわ」
「是非そうしてくれ。とにかくその辺の物には触らずに……」
「あ、でも、ちょっとお片付けするくらいはいいわよね」
「……は?」
 言うが早いか、真々子は床に山積みされている本を手に取って、本棚に次々と収めていく。「サイズも揃えた方がいいかしらね……」見栄えも重視して、てきぱき整頓。
 いや待てと。
「おいいいいっ!? あんた何してんだよ!? そういうことするなよって、たった今言ったばっかだろ!?」
「それはそうだけど、整頓してあった方が気持ちいいと思うの」
「気持ちいいとかそういう問題じゃなくて! もしかしたら置き方に意味とかあるかもで……ああもうっ! 何で母親はそうなんだよ! 触れるなって言ってるのに、どうして勝手に触るんだよ! そっちは善意のつもりかもしれないけど、そういうところが……!」
 本気で嫌なんです迷惑なんですやめてくださいと、親に私物を触られたくない全国の子供たちの気持ちを代弁する勢いで叫ぼうとした、その時。

「あら、もしかして、食材ではなくてヒトかしら」

 コツコツと、靴の踵より固い何かの足音が聞こえる。
 それは蹄の音だと、階段を下りてくる足を見てわかった。
 次第に全身像が見えてくる。山羊のような脚に、美しすぎる人間の女性の体躯と貌。長い髪は触手のように蠢いていて、頭には二本の角まで生えている。
 あからさまに人間じゃない。相手はモンスターの類だと、真人はとっさに判断した。
「母さん! 戦闘準備!」
「え? 戦闘って……あらまあ、とっても綺麗なお嬢さんね」
「とんでもなく綺麗なところは認めるけど、ただのお嬢さんじゃないだろ! どう見ても悪魔か何かだ!……ですよね!」
「うふふ。そうね。そう呼ばれることもあるわ」
 悪魔と呼ばれて、異形の女性はさも愉し気に微笑む。
「私は【千の仔孕む森の黒山羊】……実はもう一つ名前があるのだけど、死にゆくあなたたちに教える必要はないわね」
「はいどーも! そっちは黒山羊さんな! でもって俺たちを殺す宣言してくれたな! じゃあもう戦闘待ったなしってことで……母さん!」
「ちょっと待ってマー君。あと少しで本を並べ終えるから」てきぱき
「あんたいつまでやってんだよ!?」
「あら不思議。私を見ても、跪きも叫びもしないで、本の整頓を続けるヒトがいるのね」
「こんな母親で申し訳ない! 本っ当に申し訳ない!」
 何だかもういたたまれなくて、真人は勢いで謝罪をしまくるしかない……
 と。
「あ、あれ? 話し声……人間? 日本人?」
 不意に声がした。目を向けると、一人の少年が恐る恐る階段を下りてくる。
 どこか気弱で人畜無害そうな人間の少年だ。真人よりも少し年下に見える。しかも服装を見る限りだと、現代の日本人少年のようで……
「あ……ど、どうも」
「え? あ、はい。どうも」
 少年が会釈をしてきたので、真人もとりあえず会釈して。
 それで、だ。
 真人と少年が何とも言えない表情で見つめ合っていると、黒山羊と名乗る女性が間に立ちはだかって少年に呼びかけた。
「夕くん。ここはお姉ちゃんに任せて。すぐに始末するから」
「え? 始末って……ままま待ってください!? そこにいる人たちって人間ですよね!? しかも日本語をしゃべっていて、日本人みたいですよね!?」
「ええ、そうね。とりあえず言葉は通じているわね」
「ですよね! だったら、ひとまず話を……!」
「でも、このヒトたちが本当にヒトかどうかわからないわ。ヒトのように姿を変えて、油断をさせて、夕くんに危害を加えようとしているのかもしれないし」
「そ、そんな……あ、でも、お姉ちゃんも色々な姿になれるし……その可能性も……で、でも、そうじゃない可能性もありますよね!」
「それはそうだけど……でも夕くんの安全が第一だから、ここは速やかに始末してしまった方がいいと思うのだけど……」
 何やら少年と黒山羊女性が揉めているようだが。
 そんな時。
「これでよし。うふふ。だいぶ綺麗になったわ」
 周囲の状況なんてお構いなしに本の整頓を続けていた真々子が声を上げた。
 満足そうに微笑む真々子はあらためて辺りを見渡す。ちょっと呆気に取られている黒山羊女性を見て、きょとんとしている少年を見て。それで。
「えっと……ねえマー君。これからどうしたらいいかしら」
「ここにいる全員が同じことを考えている」
 真人の言葉に、黒山羊女性も少年も率直に頷いたのだった。

 

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